WMフォーカス 規定2 「いはんや悪人をや」

「WMフォーカス」は、アリス・ベイリー著『ホワイトマジック』の中で私の気になる箇所にフォーカスしてそこから考えたことを書くコーナーです。秘教を知っている人も知らない人も楽しんでいただけたら幸いです。

この記事は、規定2「障害の克服」に関する内容です。

 

要約はこちらの過去記事に掲載しています。 

minori-yadorigi.hatenablog.com

 

 

もくじ

 

パーソナリティが統合され、マインドが次第に統御されつつある人は、マインドを魂に対して消極的かつ受動的にしておくべきである。

ホワイトマジック 規定2 要約:宿木御法

前回の要約の中でこのようにまとめた部分がありますが、

私はここから、仏教の用語である「他力本願」を連想しました。

他力本願とは?

うちの実家は浄土真宗です。法事の時はお寺から住職が家に来ます。そしてよく「他力本願」の話をします。 

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善人なおもって往生を遂ぐ、いはんや悪人をや。

 

住職は話の中でよく親鸞聖人のこの言葉を引用されます。

漢文句形でいいますと「抑揚形」になっているこのフレーズ。どういうことなのかと申しますと、

「善人」ですらお浄土へゆけるのだから、ましてや「悪人」がお浄土へゆけるのはなおさらですよ。親鸞聖人は「他力本願」を説きました。私たちがお浄土へゆくときは阿弥陀様の力におすがりしましょう。

みたいなこと(だと理解しております)。

「悪人」というのは、ここでは「仏道修行をしていない一般の人」くらいの意味のようです。

 

往生するときに「他力本願」のスタンスでいなさいという教えは、

『ホワイトマジック』規定2のなかで「マインドを魂に対して消極的かつ受動的にしておくべきだ」と言われていることと、

少し似ているのではないかと思います。

 

 

「高位マインド」に到達するために 

一つ前の「WMフォーカス」記事では、中学校と高校の教科指導のことを書きました。私は高校で国語を教えていたとき、生徒に「中学生の時よりも抽象度の高いレベルで思考できるようになってほしい」と願っていました。

 

ですがそれは決して私が高位抽象マインドに到達できているという意味ではありません。「抽象」にはレベルがあります。

私が文章の読解を通して高校生に教えているような「抽象」は、ジュワルクール大師が言っているものと比べたらかなりレベルが低い「抽象」だと思います。高校生レベルの評論に出てくる経済学や記号論だってかなり抽象度が高いと思いますが、そういう考えをさらに抽象化した(高位の)領域もあるということです。そんな領域のことは、私の知性ではまだ到底理解できません。

ではどうすれば、そういう高位の領域を理解できるようになるのでしょうか?

秘教のポイントは「相似構造」です。

つまり、中学生から高校生にステップアップしたように、今度は普通の人から熱誠家へと(似たような方法で)ステップアップしてみてはいかがでしょうか?

高校生の評論指導では、よく「自分の主観は横に置いて、まずは文章を書いた人自身の考えを正確に読み取りなさい」と伝えています。主観で読んで行くと、選択肢問題なんかでは必ずミスしてしまいます。記述問題でも、問われているのは自分の考えじゃなくて筆者の考えです。

評論の筆者は(高校生から見れば)さまざまな学問分野の先達です。先達の考えたことに対してまずは「消極的かつ受動的に」向き合うことが大事です。

仏の道には阿弥陀如来さまという先達がいらっしゃいます。

熱誠家の先輩はアリス・ベイリーであり、ジュワルクール大師なのではないでしょうか。

『ホワイトマジック』を読むときに、分からない部分があっても、とりあえずそのまま受けとっておくのです。

私は高校生の時「勉強というものは、その時は分からなくても後から理解できることだってある。」と先生から言われました。 

minori-yadorigi.hatenablog.com

 

そのような態度は「他力本願」的であり、中学校から高校に上がった人のようであり、そして「魂に対してマインドを消極的かつ受動的に」している人の態度として適切なのではないかと思っています。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

WMダイジェスト 規定2 障害の克服

こんにちは、宿木御法です。

当ブログの「WMダイジェスト」コーナーでは、アリス・ベイリー著『ホワイトマジック』を私が要約したものを掲載しています。(WMはWhite Magicの略です)

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『ホワイトマジック』の内容を読み解くのはとっても難しいです。この要約は「当たっているか分からないけどせめて1点だけでももらえたら…」と勇気を出して書いた高校生のテストの答案のようなものだと思っていただけたら幸いです。

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今日は規定2「障害の克服」の要約です。 

パーソナリティが統合され、マインドが次第に統御されつつある人は、マインドを魂に対して消極的かつ受動的にしておくべきである。陽の波動と陰の波動の関係づけを学ぶことによって、多くの情報が得られる。魂と肉体も、この関係づけの中に含まれている。

人類の初期の歴史において、動物人間の魂は別の神聖な原理と接触することによって、人間へと進化した。現代において顕著になっているマインドの開花も、人類の魂が他の神聖な様相と接触することで起こるのである。

すべての形態の支配、私たちが愛と呼ぶ霊的なエネルギーの伝導体として機能する能力は、勝利した太陽天使に約束された報酬であり、彼らの瞑想のかけがえのない目標である。

 アリス・ベイリー『ホワイトマジック』規定2 p112ー119 要約:宿木御法 

 

最後の文は本文からそのまま抜き出しています。規定2の中でいちばんかっこいい文だと思ったので、使わせていただきました。でもこのままだと要約が手抜きっぽいので、この文については少し補足させていただきます。

 

「私たちが」という部分は、修飾関係としてどこにかかるのでしょうか?原文は英語で書かれているのですが、原書は持っていないので、とりあえず日本語訳文だけ見て考えてみます。

「が」は主格を表すので、それに対応する述語を探します。次の読点が現れる前に「呼ぶ」「機能する」という用言があります。「私たちが」はこのどちらかにかかっていくと考えられます。

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「機能する」は「能力」を修飾しているようです。

そして「能力は」は「報酬であり」にかかっていくようです。

 

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「報酬」は誰の報酬かというと、「太陽天使」のものであると読めます。

すると「機能する」という動詞の主体は「太陽天使」だと考えられます。

 

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「太陽天使」というのは、『ホワイトマジック』では「魂」のことを指すようです。規定2では、「魂」と「物質界の人間」(パーソナリティ)が対比されて書かれています。この文の「私たち」とは、まだ魂とのつながりが確立されていない、この本の読者全体を指しているのではないでしょうか。そういう物質界の人間たち(私たち)は、ここで話題になっている「霊的なエネルギー」を「愛」と呼んでいる、という解釈で良いのではないかと思います。

よって、「私たちが」は「呼ぶ」にかかっていると考えられます。

日本語としての文の構造はこのようになっているのではないでしょうか。

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まとめると、この文には以下の三つの内容が含まれていると解釈できます。

 

  1. 太陽天使は「すべての形態の支配」「ある霊的なエネルギーの伝導体として機能する能力」という二つの報酬を得る。
  2. そのことは、太陽天使の瞑想の目標である。
  3. 太陽天使が伝導するエネルギーのことを、「私たち」は愛と呼んでいる。

 

どうして私がこの文をかっこいいと思ったかというと、ただ言い回しがかっこいいからというだけです。とくに「かけがえのない目標」というところでしょうか。でもこの文が言い表している意味内容は、私にはあまりよく分かりません。 

そもそも「愛」について魂(太陽天使)がどう考えているか、なんて私には分かりません。という意味のことを、このブログの過去記事でも書いていますが…

↓(「愛05」三部作)

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ここはジュワルクール大師の教えに従い、魂に対して受動的になってとりあえずそのまま受けとってみましょう。

すべての形態の支配、私たちが愛と呼ぶ霊的なエネルギーの伝導体として機能する能力は、勝利した太陽天使に約束された報酬であり、彼らの瞑想のかけがえのない目標である。

『ホワイトマジック』規定2より

 

今もう一度読んでみたら「勝利した太陽天使」という部分もけっこうかっこ良いと思いました。『ホワイトマジック』には「戦い」とか「勝負」を連想させる言葉がたびたび見られる気がします。

でもその勝負の結果が「かけがえのない目標」なのだというところからも、太陽天使の使命感みたいなものを感じますね。

 

要約の他の部分については、次のWMフォーカスで書きます。

WMフォーカス 規定2 「具体的マインドの強力な発達」とは?

「WMフォーカス」は、アリス・ベイリー著『ホワイトマジック』の中で私の気になる箇所にフォーカスしてそこから考えたことを書くコーナーです。秘教を知っている人も知らない人も楽しんでいただけたら幸いです。

この記事は、規定2「オカルト学習での障害」に関する内容です。

 

要約はこちらの過去記事に掲載しています。  

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もくじ

 

具体的マインドの強力な発達

規定2本文では「オカルト学習」の障害として4つの障害が挙げられています。この中で私がとくに気になるのは2つ目の「具体的マインドの強力な発達」という障害です。「気になる」というのは、元国語科としてです。

私は20代のころ高校生に国語を教えていました。 

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「マインド」は秘教では「知性」とか「思考」に関する言葉のようです。

「具体的」というのは、どういう意味なのでしょうか?

高校生が使う現代文単語帳にはこんな風に書かれています。

具体(ぐたい) はっきりした姿・形を備えていること。

『大学入試 現代文キーワード』桐原書店より

 

そしてその対義語として「抽象」という語が挙がっています。

抽象(ちゅうしょう) 共通点を抜き出し、一般的な考えにまとめること。

『大学入試 現代文キーワード』桐原書店より

 

規定2本文では、「具体的マインド」の言い換えと思われる言葉として「低位マインド」という表現が見られます。これに対し「高位マインドつまり抽象マインド」という表現も見られます。「具体―抽象」という対応関係としては大学入試の現代文キーワードと同じ認識で良いようですね。

しかし「具体」の方が低位で、「抽象」のほうが「高位」だというのは、読者のみなさまにはピンと来ているのでしょうか??

私は「具体」より「抽象」のほうが「高位」だと思っています。

たとえば大学入試に出る評論だと、抽象度の高い文章ほど難しくなります。評論のジャンルには哲学や心理学、科学、歴史、医療、芸術などさまざまな分野がありますが、とくに難しいと思うのは経済学や記号論の文章からの出題です。と、いいますのも、この二つの分野はとくに「はっきりした姿・形」を備えていないもの(=抽象的なものごと)を思考の対象としているからなのではないかと思います。

 

抽象的=良くないこと??

私は元国語科として、生徒に高校の三年間でより抽象度の高いレベルで思考ができるようになっていってほしいという願いを持っていました。

受験生であれば、抽象度の高い文章が出題されても強気で立ち向かっていくような。

また文学的文章を扱っても人物の心情などを抽象化して表現する・まとめるということを重視しておりました。

ところが生徒と会話していると、むしろ「抽象的」ということが「良くないこと」だと考えている子もいることが分かってきました。たとえば

「それって、ちょっと抽象的な言い方だよね?もっと具体的に分かりやすく言わないとダメだよ」

みたいな感じのことを言う子がいるのです。この子の中では

「抽象的」=「分かりにくい(ダメ)」

という認識になっているんですね。そもそもどうしてそうなるのか考えてみますと、中学校では「具体的に表現したり考えたりするのが良い」と教えられてきた(とその子が思っている)からではないかと私は思います。

中学生の段階って??

中学生というのは抽象的な思考ができるようになり始めたばかりの段階です。数学なんかでも、たとえば「負の数」とか「平方根」とか、「実態を持たない数」に最初に触れるのは中学校の段階です。こうしたものは、小学生が持っている「算数セット」の道具では(具体的に)表せないものだと思います。

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ところが中学生頃の子どもたちは、しばしば具体的なレベルでの思考に戻らなければ理解が難しいので、先生から「抽象的なままだと理解できないから、具体的に考えてみなさい」みたいなことを言われるのではないでしょうか。国語科だと「具体例を重視しなさい」とか「自分で具体例を挙げてみなさい」とかいう感じでしょうか。

それはたしかに大事なことなんですが、高校生の段階では具体的な思考のレベルにとどまってばかりいると、なかかな先には進めないということになるのではないかと思います。

規定2本文の「具体的マインドの強力な発達」という表現を目にして思い浮かんだのはこのようなことです。

  

この障害を克服するにはどうしたら良いのでしょうか??

次は『ホワイトマジック』規定2に書かれている「障害の克服」を要約してみたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

WMダイジェスト 規定2 オカルト学習での障害

こんにちは、宿木御法です。

当ブログの「WMダイジェスト」コーナーでは、アリス・ベイリー著『ホワイトマジック』を私が要約したものを掲載しています。(WMはWhite Magicの略です)

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『ホワイトマジック』の内容を読み解くのはとっても難しいです。この要約は「当たっているか分からないけどせめて1点だけでももらえたら…」と勇気を出して書いた高校生のテストの答案のようなものだと思っていただけたら幸いです。

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今日は規定2「オカルト学習での障害」の要約です。

オカルトの学習について実践的に追求されていないのは、次の4つの障害のためである。

一つは西洋において絶えず繰り返されている生活の変化。

二つ目は具体的マインドの強力な発達。

三つ目は、二つ目の障害によって形のない抽象的な世界がまだ科学的な意味では認められていないこと。

四つ目は肉体が肉食や発酵した飲食物によって築かれてきたことである。

アリス・ベイリー『ホワイトマジック』規定2 p98-112 要約:宿木御法 

 

「オカルト学習」とは?

「オカルト」っていままで接頭語の「お」+「カルト」かと思っていましたが、違いますね。「オカルト」で一語ですね。(どうでもよくてすみません)

「オカルト」を辞書で引くと、このように書いてありました。

人の力では考えられないような、不思議なできごと。

例解学習国語辞典 第十版』(小学館) 

この辞書は小学生向けに編集された辞書ですが、今回の規定2の文脈によく合っていると思うので、引用させていただきました。

 

「不思議なできごと」というのは秘教の用語で言えば、魂やそれ以上の階層のできごとや法則などのことではないかと思います。

そうしたことは、たしかに人の力では考えたり学習することができません。そこでどのような障害を克服すれば学習することができるようになるかということが、この規定2には書かれているのだと思います。

 

4つの障害の中で、私がいちばん気になったのは「具体的マインドの強力な発達」です。これについての自分なりの考察を、次のWMフォーカスに書いています。

 

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異常反応 予測テスト

「異常反応予測テスト」を作成しました。異常反応の割合が大きい方が困っていそうなことをリストアップし、数字で答えるテスト形式にまとめました。

(妥当性については小池先生にチェックいただきました)

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テスト作成の目的は以下の2点です。

  1. ご自分の異常反応が大きいかどうか、気功を受ける前に予測してみたい方のため
  2. 過去に異常反応の解体を受けられた方が、その後の変化について知るため

2にあてはまる方は、気功を受ける前と受けた後で、点数が減っている項目があるかどうかチェックしてみてください。

異常反応予測テスト

以下の項目に0~3の数字で回答してください。自分でそう感じていなくても、人から指摘されたことがある場合は「少しあてはまる」「とてもあてはまる」と回答してください。

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各項目の平均を、グラフに書き込んでみてください。

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ご注意

実際に異常反応が何%であるかは、「潜在意識チェックテスト」をしないと分かりません。ですが調べる前にある程度予測することができます。このテストを使うと、生み出している心の毒の量を予測できます。点数が高ければ生み出されている心の毒の量が多いと考えられるため、異常反応の割合が高い可能性があります。

ただし、心の毒は異常反応以外の原因でも生み出されます。テストの点数が高ければ必ずしも「異常反応の割合が高い」というわけではありませんので、その点はご注意ください。
  

「異常反応」は一義流気功の知識体系に属する概念です。詳しくは以下のいずれかの過去記事をご覧ください。 

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異常反応と生きる③ 異常反応と文学

こんにちは、宿木御法です。

高校生のころ、現代文の教科書に載っていた「赤い繭」という作品が私は好きでした。安部公房という人が書いた短編小説です。

自分の家を探して歩いていた主人公が、家を見つけられず、最後には体が糸のようにほぐれて繭になってしまうお話です。

現代文の授業で初めて読んだとき、

「なんだ、この…

すばらしい作品は!

と思いました。ストーリーだけでなく、作品の雰囲気や表現など、とにかくすべてに惹かれました。しかしそれを友達に話しても、

「えーっ、どこが?」

と意見が合わなくて、正直びっくりしました。

同じ教室で、毎日同じ授業を受けていて、しかも気の合う友達なら自分と同じようなことを感じているのではないか…と(当時は)勝手に思っていました。

でも、そうじゃなかった

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それを知った切なさ。

そして、あのわけの分からないお話が好きな自分というのは

どういう人間なんだろう

と思いました。

その当時はもちろん分かりませんでしたが、今考えると「赤い繭」の異常反応的なところに惹かれたのかなと思います。

「異常反応」は一義流気功の知識体系に属する概念です。くわしくは以下のいずれかの記事をご覧ください。

気功メニュー 異常反応の解体 - 宿木御法のWhite Magic Life!

異常反応って、何?(一義流気功 for children) - 宿木御法のWhite Magic Life!

 

一義流気功の創設者である小池先生は、「異常反応は理性と分離して心の中で勝手に狂った精神活動を引き起こす」と言っています。

(そのことについてはこちらの過去記事に書きました) 

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小池先生は過去に異常反応が30%あり、時々死に誘惑されることがあったそうです。

10代の頃、私も死に憧れる瞬間はありました。死でなくても、何かどう考えても正気じゃないことを「いいなあ」と思うこともありました。もちろん実行はしませんが、たとえば小説の中にそういうものが出てきたら「あっ、いいなあ」と思ったりしていました。だから「赤い繭」もその一つだったかもしれません。

私は過去に異常反応が24%ありました。30歳頃に小池先生のところで異常反応の解体気功を受け、今は0%になっていますが、高校生の頃は以下の過去記事のような感じでした。

異常反応と生きる① 不登校にならなかった高校生 - 宿木御法のWhite Magic Life!

 

「赤い繭」の主人公にも、ちょっと正気じゃないところがあると思います。人の家に行って「ここは私の家ではなかったでしょうか?」と聞くのもおかしいし、拒絶されてあんなに悩むのもおかしい。そして最後には家に住むべき自分が「家」になってしまうのも、やっぱりおかしい。でも私は、それを「素敵だ」と思ったんです。

「繭の中だけはいつまでも夕暮れで、内側から照らす夕焼けの色に赤く光っていた」

安部公房「赤い繭」より引用)

というところも、とてもきれいだと思いました。意味が分からないとか、筋が通らないなんてそんなこと関係ないと思っていました。

 

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そんな高校生の私が心惹かれるものは、この小説以外にもたくさんありました。高校生の頃は、たとえば歌の歌詞なんかでも、似たようなものを好んで聞いていたように思います。異常反応エッセンスみたいなものがあって、そういうものに結構敏感に反応していたかもしれません。

 

「異常反応の解体」は、他にはない一義流気功独自の技術だと私は思います。私自身異常反応の解体を受けて以降、大きな効果を実感してきましたし、また多くの方の役に立つ技術だとは思っています。

では「誰もが異常反応の解体を受けるべきなのか?」というと…

私はそうは思いません。その理由は、異常反応は文学との関連が深い

と考えるからです。文学に限らず、芸術全般かもしれません。優れた作品を生み出すのに異常反応が一役買っているとすら私は思います。

だから、一概に異常反応は有害で不要なものだなんてことは言えないと思っています。

 

WMフォーカス 規定1 「潮の干満」のようにやってくるスランプ

「WMフォーカス」は、アリス・ベイリー著『ホワイトマジック』の中で私の気になる箇所にフォーカスしてそこから考えたことを書くコーナーです。秘教を知っている人も知らない人も楽しんでいただけたら幸いです。

この記事は、規定1「弟子の道」に関する内容です。

 

要約はこちらの過去記事に掲載しています。 

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もくじ

潮の干満=「永遠の法則の素晴らしい描写」 

 自然界には満ち引きがあり、潮の干満は永遠の法則の素晴らしい描写になっている。(中略)この干満は死と転生の過程の中でも働いているのを見ることができる。またそれは、人が送るいくつかの人生の過程全体にも見ることができる。

アリス・ベイリー『ホワイトマジック 上』規定1 p85より引用

ここでは「潮の干満」を「死と転生の過程」とか「人が送る人生の過程全体」にたとえられています。

アリス・ベイリー作品は「生まれ変わり」があることを前提として書かれています。

ここではつまり、何度も生まれ変わる人間が「活気に溢れ、経験と成長に満ちた生涯」を送っている時もあれば、「緩慢で不活発であると思われる生涯」を送っていることもある、ということが指摘されているのだと思います。

 

「潮の干満」って、いつも身近で見られたら素敵でしょうね。私が住んでいるのは海のない県なので、それは日常に見られる光景ではありません。

Youtubeで見つけた素敵な波の動画を共有させていただきます。


波#002

 

周期的な変化

先の引用箇所以外の部分には「周期」とか「周期的」という言葉も見られます。潮の干満もそうだし、この動画の波のように「行ったり来たりすること」を「周期的」という風に表現しているのだと思います。ジュワルクール大師によると、それは「永遠の法則の素晴らしい描写」になっているそうです。

「人の生まれ変わり」もそうだし、『ホワイトマジック』の規定1で言われている「弟子道」や「熱誠家の人生」もそうです。

今、すごくがんばって前に進んでいるな!成長しているな」と思える時もあれば、

あれ、全然進めないぞ。どうしてなんだろう?おかしいな」と思えるときもあるけれど、

それは「潮の干満」のように周期的にやってくるのが当たり前で、

誰にとっても自然なことなんだよ、

「法則」なんだから何もおかしなことではないんだよ、

と言っているように私は思います。

規定1のこの部分を読んで、私は「受験勉強」でもそうだなと思いました。

 

受験勉強のスランプ

私は現在、個別指導塾で講師をしています。主に高校3年生に国語を教えています。

大学入学共通テスト(これまでのセンター試験)の対策として、秋から冬にかけて過去問を何度も解いていくことが多いです。そうすると受験生が時々スランプになっちゃうんですね。

いつも7~8割の点数が取れるぞ。この調子だ!」というときもあれば、

あれ、最近6割がやっとだな。5割を切っちゃうときもあるよ。先生どうしよう!」となってしまうこともあります。

このようにスランプになっている受験生にどのように声をかけたら良いか…と悩んできました。

どうして点数が下がっちゃうんだろう?何が原因だろうね」と原因を追及するとますます悪くなってしまいます。

『ホワイトマジック』の規定1を読んで、今ではこんな風に言うことにしています。

「この時期スランプになる人はたくさんいるよ。去年の受験生もそうだったし。でも、試験本番までにはみんな抜け出していくよ。そういうのって誰にでもあることだから、今までやってきたことを信じて進めていけば大丈夫だよ。」

 

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メキシコ湾岸沿いの海。(photoACさんよりお借りしました。)

『ホワイトマジック』の文言をよく見ると、「永遠の法則」と書かれていますね。

潮の干満のように「行ったり来たり」を周期的に繰り返すことが永遠に続いていく、と言っているのだと思います。

その受験生が受験勉強が終わって進学しても、その先に就職したり結婚したり子育てしたり介護したり…とライフステージが変わっても、永遠にずっと繰り返される法則だと考えると、

受験勉強の場面で「スランプが来てもそれは自然なことなんだ」と伝えておくのが良さそうだなと思いました。ちょっとした声掛けをするのは、小さなことかもしれませんが、大事なことだと私は思います。 

 「ホワイトマジック(白魔術)」の実践になっているでしょうか?

 最後までお読みいただきありがとうございました。