WMフォーカス 規定3「もののけ姫」で学ぶ無害性

「WMフォーカス」は、アリス・ベイリー著『ホワイトマジック』の中で私の気になる箇所にフォーカスしてそこから考えたことを書くコーナーです。秘教を知っている人も知らない人も楽しんでいただけたら幸いです。

この記事は、規定3「魂の光と肉体の光」に関する内容です。

 

要約はこちらの過去記事に掲載しています。 

minori-yadorigi.hatenablog.com

この記事は映画「もののけ姫」の解釈を含みます。ネタバレご注意ください。

 

もののけ姫」のクライマックスは?

1997年に公開された「もののけ姫」。公開当時、私は中学生で映画館に見に行きました。見る前から「残酷なシーンもあるよ」と聞いていましたが、とくに戦のシーンはちょっと刺激が強かったと記憶してます。中学生にはテーマが難しすぎて、一度見ただけではなかなかよく分かりませんでした。

大人になってからテレビで放送されるタイミングで何回か見て、いろいろなテーマが含まれていたんだなと思いました。

 

ところで、この映画の「クライマックス」はどこだと思いますか?

シシ神の首が撃たれるところ?

アシタカとサンが首を返すところ?

モロがエボシの腕を噛みちぎるところ?

タタラ場が緑に包まれるところ?

 

そもそも「クライマックス」とは何でしょうか。

私は国語科教師時代に「読みの授業研究会」(読み研)の分会に参加しておりました。

yomiken.jp

読み研が提案する「構造よみ」のやり方に沿って考えますと、「クライマックス」は「二つの勢力の決着がつくところ」となります。

 

「二つの勢力」を何に設定する?

作品の解釈は、その作品の中の何を「二つの勢力」と見るかで変わってきます。「構造よみ」は文学作品の読み方ですけども、映画にも応用してみましょう。

もののけ姫」の場合は

森とタタラ場

エボシとサン

モロとエボシ

自然と人間

など、いろいろ考えられますが、ここでは「ホワイトマジック」に書かれている「無害性」を考えるために

アシタカと腕のあざ

で考えたいと思います。

 

「腕のあざ」は何を表す?

アシタカの腕のあざは、作品の冒頭でタタリ神になったイノシシとアシタカが戦った時にできたものです。

https://www.ghibli.jp/works/mononoke/ より引用

このイノシシ(ナゴの守)は西の国で鉄の玉に撃たれ、痛みと苦しみでタタリ神になってしまった、というストーリーです。

 

アシタカに倒されたナゴの守は

「汚らわしい人間どもめ。我が苦しみと憎しみを思い知るがいい」

と言って死んでしまいます。

 

テレビで「もののけ姫」を見た後、私はスーパーでひき肉を見るとタタリ神を思い出してしまいますΣ( ºΔº 〣)

https://www.photo-ac.com/ より

どうでも良いですがひき肉よりももっと色がどす黒いですねタタリ神は。

 

作品を通してこのどす黒いひき肉状のものが「タタリ神」と呼ばれていますが、「神」といっても(たとえば「シシ神」のように)個別の神様を指す名前というわけではないようです。

言葉で説明するなら、

「恨みや憎しみの感情を視覚化したもの」

といったところでしょうか。

 

秘教用語でいうと重たいアストラル物質のかたまりなどと言えるかもしれません。

想念形体の本『思いは生きている』を見てみると、「貪欲」や「怒り」と「悪意」の感情の色を混ぜるとちょうどタタリ神の色のようになると思います。

calil.jp

 

アシタカは

「そのあざはやがて骨までとどいてそなたを殺すだろう」と予言され、そのために村を出ていかなくてはならなくなります。

https://www.ghibli.jp/works/mononoke/ より引用

 

しかし「村を救ったのに、なんでオレが追放されるんだよ!くやしい、つらい、痛い!」などとは言わず、潔く旅立ちます。

冒頭の場面だけでも、アシタカは勇敢で強い心を持った若者だということが分かりますが、腕のあざが痛むときはあぶら汗(≧Д≦;)をかいてしまっています。しかも呪いだとか言われて普通ならすごく嫌な気持ちになるはずですよね。それなのにこんなに潔く振る舞えるのはすごいイケメンですね。

 

ストーリーが進んでいくと、このあざは「持ち主の感情が高ぶったときにすごい力を腕に与える」ということが分かってきます。

https://www.ghibli.jp/works/mononoke/ より引用

 

アシタカが射た矢で武士の腕や首がちぎれてしまったり、刀をまげたり、タタラ場の重い扉を一人で開けたり。

ナゴの守を撃ったのがエボシだと分かった時、「腕が勝手に刀を抜こうとしてそれを必死に抑える」という描写もありました。

呪われた腕はめっちゃ強い。けれど取り扱い注意

ということが、アシタカにはもう分かっているんですね。

 

アシタカが戦っている相手とは?

腕のあざはだんだん広がって、ストーリーの終盤では上半身にまで及んでいます。

https://www.ghibli.jp/works/mononoke/ より引用

 

あざの能力から考えて、このアシタカはめっちゃ強いはず。

シシ神の首を持って帰ろうと必死に逃げるジコ坊に迫ったとき、

「首を返せ!お前が間違ってる!おれの考えが正しい!」と言って力ずくで取り返すこともできただろうと思います。

しかし「自分が正しいから」といって暴力を振るうことはせず、あくまで説得するアシタカ(イケメン)。

このようにとにかくイケメンなアシタカですが、映画の中では彼の内面があまり見えません。

 

ジブリの教科書「もののけ姫」』という本を見ると、宮崎駿監督はこのように言っています。

それからもう一つ、『もののけ姫』の中の非常に大事な部分として、コントロールできなくなってしまった憎悪をどうやったらコントロールできるかっていうテーマがあるんです。(中略)そしてアシタカは自分のコントロール出来ない腕の力を、なんとかしてコントロールしようとする。その過程は、自分の内部で爆発する憎しみをなんとかしてコントロールしようとする努力の過程なんです。でも僕はそのことについて一切説明しなかった。説明すればするほど嘘臭くなるし、どうしてアシタカに憎しみがコントロール出来て、僕には出来ないんだっていうこの映画を見た子供たちの疑問にはとうてい答えることができないから。

ジブリの教科書10「もののけ姫」』(文春文庫)より引用

 

あまり内面が表に出ないアシタカですが、アシタカが対決していた相手は「(腕のあざに象徴される)自分の内部で爆発する憎しみ」だったのだと考えると、「構造よみ」としてうまく作品の解釈ができそうです。

 

作品の「クライマックス」は

「アシタカ」と「腕のあざ」という二つの勢力はどのように決着するのでしょうか。

サンとアシタカがシシ神に首を返したあと、目覚めてサンと会話しているシーンでアシタカはこのように言っています。

「シシ神は死にはしないよ。命そのものだから。生と死と、二つとも持っているもの。私に生きろと言ってくれた」

そして腕を見るとあざが薄くなっています。個人的にはここがクライマックスだと考えたいです。

 

ストーリーの序盤では「あざが骨に達して死ぬ」って言われてましたが、コントロールが難しい「憎しみ」をコントロールしたからシシ神に「生きろ」って言ってもらえたんじゃないかなと思います。

 

「無害性」を志向する人は

いろいろなテーマが含まれている「もののけ姫」ですが、アシタカが目指していたものをホワイトマジックの言葉で表すと、それは「無害性」なのではないかと私は思います。

 

規定3の中で私が好きな部分を引用してみます。

私たちは個人として、これ(※有害な磁力状態)をどのようにしたら変えることができるのであろうか。それは、私たち自身が無害性を発達させることによってである。そのため、この観点から自分自身を詳しく調べ上げなさい。あなたの毎日の行動と言葉と思考を調べ上げ、それらを完全に無害なものにしなさい。あなた自身や他の人々についての思考を建設的で肯定的なものにし、その影響を無害なものにするように努力しなさい。気分や憂うつや感情的な反応によって仲間を傷つけることがないように、自分の感情が他の人々にどのような影響を与えているかを調べなさい。これに関連して、強烈な霊的熱性や熱狂も、場違いであったり方向性が誤っていたりすれば、容易に仲間を傷つける場合があることを覚えておきなさい。

『ホワイトマジック』規定3魂の光と肉体の光より引用(※)は筆者注。

 

 

シシ神退治でジコ坊とエボシが森に入ったとき、アシタカはこんな風に言っています。

「森とタタラ場、双方が生きる道はないのか!」

 

両者は争っているけれど、アシタカにとっては両方とも生きてほしい大切な存在だったんですね。

規定3の表現でいうと「他の人々についての思考を建設的で肯定的なものに」するということができているからこそ、こんなふうに言えるのではないかと思います。

 

それに対してジコ坊が言っている

「あいつどっちの味方なんだ~?」

というセリフが個人的にはナイスだと思います。

 

「無害性」を実現しようと努力すると、それを目指していない人からは「どっちの味方なんだ??」みたいな感じに受け取られることもあると思います。

でも「味方」とか「味方じゃない」とかいうことを超えて、自分自身や他の人々についての思考を建設的で肯定的なものにするということがホワイトマジシャンへの道なんだと思います。

 

 

まとめ

宮崎監督は

「どうしてアシタカに憎しみがコントロール出来て、僕には出来ないんだっていうこの映画を見た子供たちの疑問にはとうてい答えることができない」

と書いていますが、

規定3を勉強した私のまとめとして、このような子どもたちの疑問にジュワルクール大師ならどう答えるかを考えて書いてみたいと思います。

 

アシタカだって、憎しみをコントロールすることなんか最初はできなかっただろう。これは努力して何度も練習しなければできないことなんだ。野球だって、トランペットだって、ダンスだってそうだろう?上手にできるようになりたいなら、努力して練習しないといけないんだ。アシタカは努力したからコンロトールができたんだ。

仲間と意見が食い違って「自分が正しい」と思っても、それを理由に相手を傷つけたりしてはいけない。人間社会で生きていくなら、これから先、そういう思いに何度も駆られることがあるだろう。そのたびに考えるんだ。「ここで相手を攻撃したらどうなるか」「それによって周囲にどんな影響を与えるか」と。自分とは違う考えを持つ人がいたとしても、その人は君を傷つけたいからそう思っているわけじゃない。人間なら一人一人考え方や思いが違って当然だ。だから考えるんだ。「自分も、相手も、納得できるようにするにはどうしたらいいか」と。

(まとめ:宿木御法)

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

参考資料

ジブリの教科書10 もののけ姫』(文春文庫)

『ホワイトマジック(上)』(AABライブラリー)