異常反応と生きる① 不登校にならなかった高校生

こんにちは、宿木御法です。今日は私の高校時代のことを書きます。

 

私は幼いころからピアノを弾くのが好きでした。高校生のときは勉強をほったらかして弾くときもありました。

私が通っていた高校は勉強がとっても大変でした。小テストに週末課題、実力テストに校外模試と、次から次へいろんなものが襲ってきます。

そして家から高校までの距離が約10kmあり、自転車通学でした。

  

私は異常反応が24%ありました。異常反応の影響が一番強く出たのは20代のころですが、今考えるとこのハードな高校時代のどこかで不登校になっていてもおかしくなかったと思います。

「異常反応」は一義流気功の知識体系に属する概念です。詳しくはこちらの過去記事をご覧ください。 

minori-yadorigi.hatenablog.com

 

異常反応が大きい人は、日々普通にあるストレスに加えて、異常反応が生み出すストレスにも耐えなければなりません。

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精神のバランスを取る方法が、私にとってはピアノだったんだと思います。

「美」の波長は、心の毒を上書きして無害なものに変える働きを持っています。美しいものに心が触れた時に生まれる波長です。

 

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私のピアノの腕はともかくとして、当時夢中で弾いた曲の、きれいなメロディーとか和音が心に響いたんだと思います。そして、自分が生み出す「美」の気を浴びて生きていたんだと思います。

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「はやく勉強しろよ…」

と自分にツッコミを入れつつ、なかなか弾くのを止められなかったことをよく覚えています。心に毒がたくさん溜まっている時ほど、どうしてもピアノを弾く手を止められなかったんだと思います。

大人になった今でもピアノを弾きますが、当時ほどは夢中になれません。若い時のほうが感受性が強かったのではないかと思います。そんな多感な10代のころに、私にピアノがあって良かったです。

両親に感謝。

 

ご注意

異常反応は非常に心の奥深くにあり、その存在自体ほとんどの場合察知するのは不可能です。「気合でなんとかなる」と思えるレベルの問題は、きっと心のごく浅い部分の問題でしょう。つまり、その程度のものは「異常反応ではない」と言えると思います。

「異常反応とともに生きる」という選択もあると思います。私は異常反応が大きい上に教師というハードワークを選んだために途中でダウンしましたが、もしハードワークを選んでいなかったらまだ異常反応を抱えたままで生活していたと思います。

その場合、この高校時代のようにギリギリのところでバランスを取りながらやっていくことになったと思います。それも「いつ不登校になってもおかしくないような」感じで。

健全な人からは想像がつかないような精神世界があるということだけでも、とりあえずは知っていただけたら私は嬉しいです。