「宇宙の果て」のことを思い出す②
この記事は前回の続きです。
minori-yadorigi.hatenablog.com
高校生のころ、数学で習う「確率」がちょっと苦手だったのですが、教科担任が怖い先生だったので、優しそうな部顧問(数学科)の先生に愚痴を言う部員でした。
今でも、先生の返事をなぜかよく思い出します。
勉強っていうのは順番なんだ
後になって分かることもある
前回の記事に書いた「宇宙の果て」があるかないかなんていうことはたぶん、死なないと分からないんじゃないかと思います。
そういうことになると、死後の世界を見るのもちょっと楽しみではありますが…
子どものころに読んだ『西の魔女が死んだ』のおばあちゃんのように。
でも、人間の学びにもやはり順番があって、生きているうちに勉強すべき事がまだたくさんあるのではないかと思います。
たとえば、自閉症スペクトラムについての知識があっても、当事者の感覚までそのまま分かるわけではありません。同じように、
異性の感覚や、
異世代の人の感覚、
異文化に属する人の感覚、
も分かりません。
ジュワル・クール大師の気持ちや、
太陽系ロゴスの考えなど、
自分以外の存在のこととなると、どんなことも実際には分からないわけで、これは今の「私」として生きている限りは絶対に分からないことなのではないかと思います。
そんなときも、「宇宙に果てがない」ということが絶対に想像できないという話を思い出します。
「宇宙の果て」のことと同じように、分からないけれど、分からないまま心に一つ一つとどめて、そのまま生きていこう、
勉強は順番、あとから分かることもある。
そんな器のでかさが、
秘教の勉強にも、人間社会での振る舞い方にも求められているのではないか
そんな風に思います。