WMダイジェスト 規定1 弟子の道

こんにちは、宿木御法です。

当ブログの「WMダイジェスト」コーナーでは、アリス・ベイリー著『ホワイトマジック』を私が要約したものを掲載しています。(WMはWhite Magicの略です)

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『ホワイトマジック』の内容を読み解くのはとっても難しいです。この要約は「当たっているか分からないけどせめて1点だけでももらえたら…」と勇気を出して書いた高校生のテストの答案のようなものだと思っていただけたら幸いです。

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今日は規定1「弟子の道」の要約です。

弟子道の段階は困難なものである。熱誠家の人生には活性化の時期と静止の時期がまるで潮の干満のように周期的に訪れる。まずはマインドを鎮静化することが必要である。そうして利己的な安楽や野心のためではなく、グループの仕事のために責任を負い、自分で選択したことの結果に耐える能力を身につける努力をするべきである。そうするうちに、彼は魂と接触する。そして弟子道に入ったときに魂の奥深いところに根を張る直観知識を活用するようになる。

アリス・ベイリー『ホワイトマジック上』規定1 p83-95 要約:宿木御法

 

 要約したものを眺めてみると…

「弟子道」「熱誠家」「魂」など、秘教に関する用語もいくつかありますが、それ以外はものすごく普通のことを言ってるような気がします。

 

利己的な安楽や野心のためではなく、グループの仕事のために責任を負う

とか

自分で選択したことの結果に耐える能力を身につける

とか。

言い回しをもっと簡単にしたら、小学生や中学生が自分たちの目標として掲げるスローガンだったとしても違和感がない気がします。

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社会人であっても同じですよね。こういうことは、社会人としていつでも自分の目標にしていきたいことだと思う人が多いのではないのでしょうか。

同じことが、「弟子道」を考えたときにも「努力すべきである」ことだと言われているんだと思います。

秘教の本を読みながら何かを考えるときには「相似構造」という視点を持ち込むと分かりやすいと思います。「弟子道」というものを、「他の何かとの相似」としてとらえて考えてみるということです。

ここでは「小学校生活」や「中学校生活」、または「社会人生活」との相似で考えてみました。

 

また、要約の中で「活性化の時期と静止の時期が、まるで潮の干満のように周期的に訪れる」というところもちょっと気になります。

これは「熱誠家の人生」で起きることだとされていますが、たとえばこれを受験勉強で起きることだと考えてみても同じようなことが言えそうです。ということを、毎年仕事で受験生と接している私は真っ先に連想しました。

次回はそのことについて書いてみたいと思います。

 

minori-yadorigi.hatenablog.com

 

 

 

「だまされてないですか?!」 理性について

こんにちは、宿木御法です。

気功を仕事にしようと準備を始めてから、よく言われるようになったのがこの言葉です。

「気功の先生に、だまされてるんじゃないの?」

こう聞かれると、何と答えたら良いか分かりません(´ー`)

だって、「だまされてないよ」って答えても、答えなくても

相手が感じることは同じじゃないですかね。もし「だまされて」いたら、「だまされているかどうか」は本人には分からないはずですよね。

だから、「だまされているかどうか」の返事の代わりに「理性」についての私の考えを書きたいと思います。

 

contents

 

「理性」とは何か

一義流気功の師、小池先生は「理性」についてこのように言っています。

理性とは、正しい心ではありません。理性は、区別する能力です。

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たとえば「固着した悪意」の影響が大きい人は、怒りを触発されて攻撃性を抑えにくくなったとき、こんなふうに思うかもしれません。

「こんなひどいことをされたんだから、やり返しても良いはずだ」と。

「固着した悪意」は一義流気功の知識体系に属する概念です。くわしくは以下のいずれかの記事をご覧ください。 

気功メニュー 固着した悪意の解体 - 宿木御法のWhite Magic Life!

すぐにけんかしてしまうのはなぜ?(一義流気功 for children) - 宿木御法のWhite Magic Life!

 「やり返しても良い状況かどうか」を決めてしまうのは、理性です。

「理性」は区別する能力。

「やり返して良い状況かどうか」を、他の場合と区別して、「これは他と違って、やり返して良い状況だ」と判断してしまいます。

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「やり返しても良い」=間違った考え?

この判断が「正しいかどうか」ということを、私が決めることはできません。

現代の日本の社会においては、「正しい」とは言えないかと思います。どんな行為であれ、「やり返す」という意識がベースにあるのは良くないはずです。

でも、異なる文化圏ならどうでしょう?

あるいは、異なる時代なら。

古今東西の歴史を遡れば、現代からは考えにくいような過酷な刑罰が存在していたという地域や時代もあります。

ついちょっと前、日本でも戦時中は現代とは全く異なる価値観のもと、国をあげて戦争に向かっていました。そのさなかでは、敵国の兵士を殺しても「戦争に勝つこと」が価値だと思われていました。現代からは考えにくいですが、その時代には「日本が戦争に勝つこと」に協力するのが「正しい」と思われていたのです。

 

「正しさ」とは?

話がふくらみましたが、何が言いたいかというと、

「正しい心」は時代や文化によって異なる特殊なものだけど、

「理性(区別する能力)」はもっと普遍的なもの

ということです。

 

理性がしっかりと働く状態ならば、自分の価値観を相対化することができます。

「自分の価値観を相対化する」というのは、たとえばこんな風に考えることです。

「唯一の正しさなんてない。自分の考える正しさも、普遍的な価値ではない」

つまりはそれが、だまされたり、流されたりしないことの条件なんだと思います。

 私が人に示せるのは、私が私の「理性」で「一義流気功が人の役に立つものと判断した」ということだけです。

 

「理性」の対極にあるのは「狂気」だと思います。

「理性」が「区別する能力」ならば、

「狂気」は「区別する能力を弱らせるもの」と言えると思います。

 

人間なので「絶対」ということは必ずしも言えないと思いますが、私は「狂気」に心を奪われることなく、自分の「理性」がおかしなものに加担しないようにいつも注意を払っていたいと考えています。

 

WMフォーカス 規定1 「自分自身」へと立ち戻る

「WMフォーカス」は、アリス・ベイリー著『ホワイトマジック』の中で私の気になる箇所にフォーカスしてそこから考えたことを書くコーナーです。秘教を知っている人も知らない人も楽しんでいただけたら幸いです。

もくじ

 

「自分自身」へと立ち戻る

『ホワイトマジック』規定1の冒頭には次のように書かれています。

私たちは一連の学習過程に進もうとしている。この学習過程の全体的な傾向は、学ぶ人々を自分自身へと立ち戻らせ、これまでほとんどの場合、稀に情緒が高まったときだけにその存在を感じさせてきた大きな自己へと立ち戻らせるものである。

 アリス・ベイリー『ホワイトマジック(上)』規定1より引用

この部分の個人的な解釈として、私自身の教師時代の体験を取り上げたいと思います。

 

東日本大震災を取り入れた授業案づくり 

私は元高校の教師です。教員研修でとっても難しいテーマを出されたことがありました。東日本大震災に関することを取り入れて、グループで総合学習の授業案をつくれ」というようなものでした。

当時は同期の人と行く合宿のようなものがあり、6人くらいのグループで数日かけてその授業案を共同で作りました。合宿に行く前に各自図書館などでいろいろ調べてから臨みました。

 

私は国語科でしたが、同じグループには他の文系教科の先生も、理系教科の先生も、実技教科の先生もいて、勤めている高校もみんな別々でした。

完成したものはグループによって多種多様でした。

防災のことを考える授業案

被災地での心理的ケアについての授業案など。

別のグループには阪神大震災で被災した経験のある先生もいて、発表の時にご自身の体験談を語られていました。

そんな中、私たちのグループは(ちょっと意外かもしれませんが)

将来の夢について考える授業案というのを作りました。

 

なぜこんなテーマになったかといいますと…

グループのメンバーが事前に調べて持ち寄った資料の中に、十代の被災者の手記のようなものをまとめたものがありました。それを読んでいると、あることに気づいたんです。

津波に飲まれて、自分は助かったけど、大切な人や家を失った。絶望のさなかで、今まで将来の夢なんて持つことがなかったけれど、「自分は看護師になりたかったのだ」「保育士になりたかったのだ」などと、自分が実はなりたかったものに気づいた

こういうプロットを持っている手記がいくつもあることに気づきました。

その資料を使って作った授業案は…

被災者の手記をクラスで読んで、書き手の心に起きた変化を追体験し、自分の将来の夢は何かを生徒が考える

というものでした。

自分でいうのもなんですが、この授業案はよくできてたなあと思います。なんか、発想がすごいです。というのも、同期の先生と一緒にグループで考えたからだと思います。自分一人でこういうことは思いつかなかっただろうし、またそれを授業案にするなんてことは一人では難しかっただろうと思います。

 研修の後、各自学校へ持ち帰って実践もしております。私が授業実践で利用した資料はこちらです。 

 

同じプロットを持つ手記がいくつも存在するのは…? 

ところがその時は、「どうして同じようなプロットを持った手記がいくつもあったのか」というところまでは考えが及びませんでした。研修といっても、何かと日々忙しい中でやっているので、そこまで考えてる余裕がなかったといいますか。

改めて考えてみると、どうして被災体験をした十代の人はそのさなかで自分の将来の夢を見つけたのでしょう?

教師を辞めてセラピストに転向し、『ホワイトマジック』を読むようになった今になって、そのことが少し考えられるようになりました。

 

これまでほとんどの場合、稀に情緒が高まったときだけにその存在を感じさせてきた大きな自己

アリス・ベイリー『ホワイトマジック(上)』規定1より

 

ジュワルクール大師が「規定1」の冒頭で言っているこのフレーズを見ると、私はあのグループ研修で扱った震災の手記を思い出します。手記を書いた方にとっては、被災体験が「稀に情緒が高まったとき」というのに当たるのではないかと思います。

大震災で被災するなどということは、何度もあってはならないことだとは思います。でもたまたま、そういうときに「大きな自己」へと立ち戻ったという体験をした人が何人もいるのです。(「大きな自己」というのは将来の夢に限らず「自分はどのように生きていきたいか」というその人の生涯にわたる目的のようなものを指すと思います。)

しかし「大きな自己」に立ち戻るたびにそういう体験ばかりしていては、身が持たないですよね。ジュワルクール大師は、私たちにどんな風にして「大きな自己」に立ち戻ってほしいと思っているのでしょうか?もう一度『ホワイトマジック』からの引用を見てみましょう。

私たちは一連の学習過程に進もうとしている。この学習過程の全体的な傾向は、学ぶ人々を自分自身へと立ち戻らせ、これまでほとんどの場合、稀に情緒が高まったときだけにその存在を感じさせてきた大きな自己へと立ち戻らせるものである。

 アリス・ベイリー『ホワイトマジック(上)』規定1より引用

 

白魔術師(=ホワイトマジシャン)というのは、「情緒が高まるような」体験をした時だけに限らず、もっとありふれたタイミングでも「大きな自己」に立ち戻ることができる人なのではないでしょうか。

これからホワイトマジックを勉強して、自分もそうなれたらいいなと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

バランスを取りながら冷えとりをしよう!

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「生物―心理―社会モデル」は1977年に精神科医のジョージ・エンゲルが提唱した人間の見方についてのモデルです。人間を考える際には生物学・心理学・社会学の3つの視点から総合的に見ていくことが大切であるという考え方にもとづくモデルです。

健康を考えるとき、よく「心と体はつながっている」と言われます。体だけを良くしようとしてさまざまな健康法に取り組むと、その枠組みばかりにとらわれ「ああしなきゃ、こうしなきゃ」と心が緊張してしまいます。リラックスができない状態が続くとかえって体の健康にとっても害になってしまいます。だから「自分のペースで無理なく続けることが大切だ」と言われます。

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では、心と体の調和がとれる形で健康法を続けていけばそれで良いのでしょうか?

ここで忘れられがちなのが「社会」という視点です。「社会」というのは人間が助け合って生きる場のことです。「人間関係」と言い換えてもいいかもしれません。

たとえば何かの健康法に取り組んでいて、特定の食べ物を控えていたり少食を心掛けていたりする時に、大切な友人から「食事をしにいこう」と誘われて、断りたくなかったらどうでしょう?

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進藤良晴先生や幸恵先生は、「そういう時は友人と楽しく食事ができることに感謝し、喜んで食べれば良い」とおっしゃいます。この考え方は「生物―心理―社会モデル」的にバランスの取れた考え方であると私は思います。「心理(心)」「生物(体)」だけでなく、一番忘れられがちな「社会(人間関係)」のことをしっかりと視野に入れているからです。

 

冷えとり健康法は標準医療的な治療ではないし、「医師の指示」とも違います。言われたからといってその通りにやれば健康が保証されるというものではありません。私も医師ではありません。私が冷えとりを通してクライアント様にお伝えすることは、健康を志向する人への一つの提案に過ぎません。提案された考え方や方法を選択するかどうかは、クライアント様お一人お一人が決めることだと思っています。

冷えとり健康法は「健康を考えるための一つの枠組み」だと私は考えています。その枠組みの中で自ら考えることによって健康に関心を持ち、より幸福に生きていこうとする人が増えていくようにと願っています。

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WMダイジェスト 規定1 いくつかの基本的な前提

こんにちは、宿木御法です。久しぶりにアリス・ベイリーの本のことを書きます。

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当ブログの「WMダイジェスト」コーナーでは、アリス・ベイリー著『ホワイトマジック』を私が要約したものを掲載しています。(WMはWhite Magicの略です)『ホワイトマジック』の内容を読み解くのは、私には難しいことです。この要約は「当たっているか分からないけどせめて1点だけでももらえたら…」と勇気を出して書いた高校生のテストの答案のようなものだと思っていただけたら幸いです。

今日は規定1「いくつかの基本的な前提」の要約です。

熱誠家とは、魂の永遠なる真の価値についていくらか知った上で生きようと努力する人々である。私は彼らが太陽からの波動を受けて働く白魔術師となるように導く。

アリス・ベイリー『ホワイトマジック上』規定1 p74~83 要約:宿木御法

 

アリスベイリー本には「熱誠家」「白魔術師」など、日常で普通には使われない用語が出てきます。このブログで「初めてアリスベイリーを知った!」という人のためにも、また私自身の勉強のためにも、用語解説から行きたいと思います。

 

熱誠家

要約文の最初に登場しております「熱誠家」というのは、私たちがたどる進化の過程の中の一つの段階のようです。

「進化」といっても「ダーウィンの進化論」とかいうときの肉体の進化のことではありません。秘教でいう「進化」とは「精神面の進化」のようなことだと(私は)捉えています。私たちは生まれ変わりを繰り返して「精神面がだんだん進化していく」というのが秘教を勉強するときの前提なんです。

その進化の過程のうち「熱誠家」はどういう段階かといいますと、(上の要約文に書いたように)「魂の永遠なる真の価値についていくらか知った上で生きようと努力する」段階である、と私は読みました。

 

一人称「私」

『ホワイトマジック』に出ている一人称の「私」という人は、著者のアリス・ベイリーではありません。『ホワイトマジック』はアリス・ベイリーがジュワルクール大師の口述を聞き取って書いた口述筆記本であり、実際の著者はジュワルクール大師という人(「人」っていっていいか分かりませんが…)です。

ジュワルクール大師は、進化の道のりを私たちより先に歩んでいる霊的存在のようです。

なので当ブログの要約でも、「私」と出てきたらそれはジュワルクール大師のことを指すんですよ。ちょっと分かりづらいですがよろしくお願いします。

 

白魔術師

要約文の最後の方に「白魔術師」とありますが、あやしいものではありません。英語でいえば「ホワイトマジシャン」ですね。マジシャンといっても手品師ではありません。ではどんな人かといいますと、要約文では「太陽からの波動を受けて働く」人だとまとめさせていただきました。

でもこれだけでは、『ホワイトマジック』を初めて読んだ方にはなんのことやらさっぱりですよね…。そもそも本のタイトルが「ホワイトマジック」なので、ホワイトマジックがどういうものなのかは本を最後まで読んでみないとわかりません。私もまだ『ホワイトマジック』を読んでる途中です。でも途中なりに「白魔術師ってこんな感じの人では…」というざっくりしたイメージみたいなものを書いてみます。

秘教では私たちが「生まれ変わりを通して精神的な進化を遂げる」ということが前提としてあります。進化の目標はずっとずっと先にあって、簡単に達成できるものではありません。でもその目標について、少しでも感じ取ることができなければそこに向かっていくことは難しくなります。「白魔術師(ホワイトマジシャン)」というのは、私たちが進化の果てに目指している目標をかすかに感じ取って「こんな感じなんじゃないかな…」と他の人にちょっとずつ教えている人みたいな感じなのではないかと思います。なにしろ「ちょっとずつ」なので、何か人間の能力を超えた派手なこととか、変なことをしているわけではなく、周囲の人にはふつうに「社会のためにがんばっている人」だと映っているのではないでしょうか。

だから白魔術師は私の身近にも何人かはいらっしゃるのではないかと思います。もしかしたら会ったことあるかもしれません。実はこのブログのアイコンは白魔術師をイメージして私が描いたイラストになっております。

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親しみやすくてかわいいね!と思っていただけたら幸いです。

知性拡大・セットメニュー(一義流気功 for teacher)

知性を発揮してお仕事・生活をされたいすべての方へお勧めの二つの気功セットです。

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気を生み出す総量の増加

一人の人が一度に生み出せる気の量は有限です。その総量は、人によって違っています。そしてその量の多寡は、知性の高さと深い関係があります。

私たちはふだん自分で生み出した気を肉体の健康維持や心(感情)のメンテナンスなどに費やしています。そのうえでさらに、知的活動にも気を費やします。

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知的活動には多くの気が費やされます。心身が健全な状態であれば、増加した分の気を知的活動に配分することができます。例えるなら、一度に多くの気を生み出せる状態は、「コンピュータのCPUの性能が良く、メモリの容量が大きい状態」に似ています。多くの気を生み出せるようになると、より多くの情報をより高速に処理することができ、より広い視野で物事を把握できます。それが次の思考の土台になり、さらに広い視野で物事を把握できるようになる、という好循環が起きます。

 

一度に生み出せる気の量は、潜在意識チェックテストで確かめます。気功を受ける前の人の平均値を100とすると、90~100の間を示す方が多いです。

(一部の突出した人が存在するため、中央値は100より少し下です。)

気功後は120台中盤~130台後半を示す方が多いです。まれに150を超える方もいます。

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異常反応の解体

異常反応は「心のエラー」です。異常反応は、本来脅威ではないものを脅威だと判断し、心に不合理な恐怖心を生み出します。原因は、肉体がまだ弱い時期(0~2歳ごろ)に感じた脅威に対する恐れを成長後にも保持してしまうことです。

不合理に心の毒を生み出し続けているという点では、「心の毒の生産工場」とも言えます。

詳しくは以下の過去記事をご参照ください。 

minori-yadorigi.hatenablog.com

 

大きな異常反応を抱えていると、体調や精神状態、発達などに影響が出ます。ふつうに生活をするのが困難になる人もいます。(そのような方には別のアプローチをご用意させていただいています。)

異常反応が小さい人でも、生活に影響が出るほどではないけれど、異常反応から来る「ザワザワした感じ」に思考や判断を妨げられていることもあります。しかし、この不合理な「ザワザワした感じ」を表面上の意識でキャッチし、認識できる人はほとんどいません。異常反応は潜在意識の中でも理性の届かない深い場所に存在します。そのため、心がザワついていても顕在意識上は目に見える人間関係や自分の落ち度や何かに帰属してしまっている人が多いのです。

また、異常反応には「心の毒の処理を妨げ、落ち込みを長引かせる」という側面もあります。このような影響で、感情の整理がスムーズにいかず、思考や判断のリミッターのようになってしまっていることがあります。

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人間性や人格を高めたい」と願っている方にとって、異常反応の解体は「リミッターを外すこと」を意味します。解体後は、思考はシンプルかつクリアになり、自分のためだけでなく周囲の人のために知性を発揮できる機会が増えていきます。異常反応がありながらも、そのエラーに惑わされず物事に誠実に向き合ってきた方は、リミッターが外れることによって目覚ましいスピードで人間的成長を遂げていきます。

 

自己・他者肯定セットメニュー(一義流気功 for teacher)

子ども・子育てに関わるすべての方にお勧めの二つの気功セットです。

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こんなことで困っていませんか?

  • 子どもに愛情が感じられない
  • 自分に自信がない
  • 人が傷つくようなことを言ってしまう

    → 愛05値が低いかも

  • ちょっとしたことで怒りを感じ、抑えるのに苦労する
  • 子どもが故意に自分を困らせようとしているように感じることがある

    → 悪意の数が多いかも

 

以下は気功メニューの紹介です。

気功メニュー「愛05」

「0歳から5歳までに他者から受けた愛情の量」のことを「愛05」と呼んでいます。気功によって、飽和状態まで上げることができます。

詳しくは以下の過去記事をご覧ください。 

minori-yadorigi.hatenablog.com

 

気功メニュー「固着した悪意の解体」

「固着した悪意」とは、「何でも良いから攻撃したい」といった純粋な欲求のことです。心のトーンが低いところまで落ちた機会に生み出されます。それを気功によって解体します。

詳しくは以下の過去記事をご覧ください。 

minori-yadorigi.hatenablog.com

 

二つの気功の効果

人に自然な愛情が感じられるようになる

 子どもがただそこにいてくれるだけでいとしく、幸せだと感じられることが多くなります。

 

自己肯定感が高まる

トラブルがあっても「自分は精一杯頑張っていて、相手も精一杯やっている」と感じられ、解決に対して前向きになれることが多くなります。

 

共感力が高まる

自分のことが大切に思えるため、相手も同じように大切で尊重されるべき存在であることが直感できるようになります。

 

怒りにとらわれる機会が減る

怒るべき時には怒りを感じますが、理不尽に相手を攻撃したくなるようなことはなくなっていきます。

 

子どもから悪意を読み取らなくてすむようになる

投影機制がはたらかなくなり、子どもの行動の理由が必ずしも悪意を発端にしていないことが直感できる機会が増えていきます。

 

体験談

セットメニューの体験談をnoteにアップしています。

 

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