WMフォーカス 序文 ブルカニロ博士の言葉

こんにちは、宿木御法です。

WMフォーカスは、アリスベイリー著『ホワイトマジック』の中で私の気になる箇所にフォーカスして、そこから考えたことを書くコーナーです。

秘教を知っている人も知らない人も、楽しんでいただけたら幸いです。

 

アリスベイリーの著書は「秘教」といいながら、実際には私たちが考えているような「宗教」とは違います。以下は『ホワイトマジック』上巻からの引用です。

賢明にもあなた方は、上から押しつけされる権威という汚れからこの教えを守ってきた。あなた方が読むこれらの本の背後には、階級組織の権威やそれによる支持という秘教原理は全く存在しない。(中略)「知る方々が・・・・を望んでおられる」とか「大師が・・・・と仰っている」とか「偉大なる方たちが・・・・と命じている」というささやきの言葉が多くのグループにおいて呪いの言葉になってきた。そして、愚かな羊の群れは弱々しく盲目的に慌ててそれに従う。 

 『ホワイトマジック上』p17より引用

 

「権威」によって何かを信じてもらう、という考えが、著者(ジュワルクール大師)にはない、ということを言っていると私は思いました。

アリスベイリー本のこういうところが私は気に入っています。

 

ところで最近、仕事で宮澤賢治著『銀河鉄道の夜』の一部を読むことがありました。その部分を読んでいたら、上記の『ホワイトマジック』の記述と重なるのではないかと思ったところがありました。

 

銀河鉄道の夜』は学校でいじめられているジョバンニという少年が、亡くなった親友カンパネルラが銀河鉄道に乗って天界へと旅するのに同行してしまうお話です。

以下の引用箇所は、ブルカニロ博士という登場人物の会話文の一部です。この博士は、カンパネルラが消えたあとの座席に現れて、ジョバンニに話しかけた人物です。

おまえは化学をならったろう。水は酸素と水素からできているということを知っている。いまはたれだってそれを疑やしない。実験して見るとほんとうにそうなんだから。けれども昔はそれを水銀と塩でできていると云ったり、水銀と硫黄でできていると云ったりいろいろ議論したのだ。みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう、けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。けれどももしおまえがほんとうに勉強して実験でちゃんとほんとうの考とうその考とを分けてしまえばその実験の方法さえきまればもう信仰も化学と同じようになる。

宮沢賢治ポラーノの広場新潮文庫(平成7年)「銀河鉄道の夜」〔初期形第三次稿〕より引用 

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そんな人いたっけ…と思いましたが、この部分は『銀河鉄道の夜』の初期形第三次稿からの抜粋でした。『銀河鉄道の夜』は著者・宮澤賢治の死後、未完成のまま発見されてたくさんの遺稿が存在する作品。ブルカニロ博士はその初期の原稿にだけ登場する人物のようです。

 

水は水銀と塩でできているとか水銀と硫黄でできているなんて、いつの時代にどこで誰が言ってたのでしょうか(すみません、調べてないのでわかりません…というかどのように調べればよいのか文系なのでわかりません)あるいはそこもフィクションなのでしょうか?

 

しかしこの部分の印象に残ったところは

みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう

というところです。

 

それぞれ「じぶんの神さまがほんとうの神さまだ」と信じ、勝負がつかなくなるのは、背後にある権威を頼みにしているからで、それは自分で実験して確かめもしないで「水は酸素と水素からできている」と信じることと本質的には同じだ、とブルカニロ博士は言っているのではないかなと思いました。

 

しかし「おまえ」(主人公のジョバンニ)は、学校で化学を習って実験もして確かめたんだから、それを疑わない。

信仰も、同じ科学的な手順を踏めば、「確かにこうである」と思うことができるようになる。

と言っているのかなあと思いました。

 

それって、『ホワイトマジック』にも書いてあることのような気がします。

「偉い人が言ってるから…」と盲目的に信じるのではなく、ちゃんと自分で確かめて、そこから何かを考えなければ意味がない、と私はいつも思っております。秘教を勉強するにも、何をするにも、いつもこういう態度でいなければならないとも思います。

 

仕事中に不意に出会った文章でしたが、『ホワイトマジック』を勉強するのが楽しみになった一瞬でした。