ホリスティック医学

今日は「ホリスティック医学」との出会いについて書きます。

 

「ホリスティック」は「全体の」とか「まるごとの」という意味です。「ホリスティック医学」は人間を部分ではなく全体としてとらえよう、という願いが込められた言葉。

私はホリスティック医学協会に一般会員として4年ほど前に入会しました。きっかけは、当時会長でいらっしゃった帯津良一さん(現在は名誉会長)の本を読んだことです。

 

帯津良一 『ホリスティック医学入門―ガン治療に残された無限の可能性』

 (2009 角川グループパブリッシング

 

calil.jp

 

帯津良一さんは外科医で、埼玉の帯津三敬病院の院長(現在は名誉院長)。病院では標準医療に加えて代替療法も取り入れていらっしゃるそうです。

www.obitsusankei.or.jp

 

病院 vs 代替療法

西洋医学 vs 東洋医学

 のように、対立的になりがちな昨今。ですが、帯津先生は対立ではなく補完を説いていらっしゃいます。

 どちらも人のためにあるのだから、両方の良いところを活かし、補い合い、役立てよう。

 そんなスタンス。そこに強く共感しました。

 代替療法を行う側の大きな問題点は、西洋医学やほかの療法を頭から否定することです。自分たちのやっている治療法を万能のように語るのは考えものです。自らの治療法を唯一絶対のものとして、他を認めようとしない態度は、私はどうしても好きになれません。

 手術や抗ガン剤がまだ有効な状態であるにもかかわらず、それを否定してしまうのは得策ではありません。大きなガンが局所的にあるなら、これを手術や抗ガン剤で小さくしてから代替療法で対処していくという方法も有力な選択肢です。別の代替療法と組み合わせることで、相乗効果が出ることもあるでしょう。そうしたさまざまな可能性を提示できるだけの度量の大きさが、西洋医学の側ばかりでなく、代替療法の側にも必要とされるのです。

『ホリスティック医学入門―ガン治療に残された無限の可能性』より引用

 

この本を読んだ当時、私は体のいろいろな不調が治らなくて、病院を回ったけれど原因は特定されず、その後代替療法のお世話になりました。でも代替療法の担い手の中には

「自分(たち)の治療だけで十分」

とか

「ほかのものは受けてほしくない」

と考えている人がいて、それを残念に思いました。(全員ではありません。そうでない方もたくさんいらっしゃいました)

どんな理由があるのか分かりませんが、それが相手のためになっていなかったら意味がないですよね。

 

教師時代に先輩教師から言われた、私の好きな言葉があります。

「先生どうし対立したり迷ったりしたら、生徒にとってどうか考えるのよ。どんな時も生徒が一番。それだけは忘れてはダメよ」

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医療でも、やはりそうだと思います。「生徒」というところが「患者」や「クライアント」に変わるだけです。そう考えると帯津良一さんのお考えは極めて当然な発想だと思いました。

偏りがないということは大切なこと。

そう思ったので、自分の勉強のためにホリスティック医学協会に入会しました。